大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和30年(行)113号 判決

原告 有限会社岩井三郎調査事務所

被告 京橋税務署長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十九年十二月十日付で原告の昭和二十八年一月一日から同年十二月三十一日までの事業年度の法人税額を金二三、二六〇円と更正した決定のうち、金一〇、一二二円を超過する部分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

一、原告は、昭和二十八年一月一日から同年十二月三十一日までの事業年度(以下昭和二十八年事業年度という)の法人税の所得金額の確定申告として、昭和二十九年二月二十八日被告に同事業年度は欠損であつて所得はなかつたと申告したところ、被告は同年十二月十日原告の昭和二十八年事業年度の法人税として税額金二三、二六〇円を課する旨の更正決定をし、その旨を同月十一日頃原告に通知した。そこで原告は昭和三十年一月九日被告に再調査の請求をしたが、同年三月三十一日右請求は棄却され、その頃その通知を受けたので、同年四月二十八日更に訴外東京国税局長に対し審査の請求をしたが、同局長は同年八月十六日原告の右請求を棄却し、右決定は同月十八日原告に通知された。

二、しかし被告の前記更正決定のうち、税額金一〇、一二二円を超過する部分は次の理由によつて違法であるから取消さるべきである。

原告は、青色申告制度がはじめて設けられた昭和二十五年五月頃被告にその承認申請書を提出し、その後は毎事業年度の申告期日前に被告より青色申告用紙の送付を受け、毎事業年度継続して青色で申告してきたものであつて、昭和二十八年事業年度においても青色で申告したものである。ところで原告は昭和二十八年事業年度においては金五五、四〇〇円の所得があつたけれども、昭和二十五年一月一日から同年十二月三十一日までの事業年度(以下昭和二十五年事業年度という)において金一〇、七〇九円、昭和二十六年一月一日から同年十二月三十一日までの事業年度(以下昭和二十六年事業年度という)において金六、六八八円、昭和二十七年一月一日から同年十二月三十一日までの事業年度(以下昭和二十七年事業年度という)において金一三、八五九円の損金を夫々生じており、法人税法第九条第五項の規定により右三箇年の損金合計三一、二五六円は、昭和二十八年事業年度の所得の計算上は損金に計算されるから、右事業年度の原告の所得は金二四、一四六円であつて、その税額は金一〇、一二二円である。

と述べた。(立証省略)

被告指定代理人は主文第一項同旨の判決を求め、請求原因事実に対する答弁として、

一、請求原因一記載の事実又び同二記載の事実中、原告が昭和二十五年事業年度より各事業年度に法人税の確定申告をしたこと(但し青色申告ではない)、原告の昭和二十五年事業年度から昭和二十七年事業年度までの各損金額及び昭和二十八年事業年度の所得額が原告主張の金額であることは認めるが、その他の事実は争う。

二、原告は青色申告制度(昭和二十五年法律第七十二号により同年四月一日から施行された)の採用された昭和二十五年事業年度から現在に至るまで青色申告の承認申請をしていないから、青色申告の効果の一つである、法人税法第九条第五項の規定による事業年度開始の日前五年以内に開始した事業年度に生じた損金を所得の計上損金に算入するという効果を受けることができない。

仮りに原告が前記各事業年度に青色申告用紙を使用して申告していたとしても青色申告であるかどうかは申告用紙の形式によつて定まるのではなくて、その承認のないかぎり通常の白色の申告として処理されるべきことは当然である。現に事務上も青色申告の承認を受けていない者が青色の用紙を使用して申告しても、その申告書の形式は全く同一であるから、白色申告書の再提出を命ずることなく、これを白色申告書として取扱うこととしている。

このように原告は青色申告の承認申請をしていないのであるから、本件更正決定はなんら違法でない。

と述べた。(立証省略)

理由

原告が昭和二十八年事業年度分法人税の所得金額の確定申告として、昭和二十九年二月二十八日被告に同事業年度は欠損であつて所得はないと申告したところ、被告は同年十二月十日原告の右事業年度分の法人税額金二三、二六〇円を課する旨更正決定をし、その旨を同月十一日頃原告に通知したこと、原告が昭和三十年一月九日被告は右決定に対する再調査の請求をしたが、同年三月三十一日右請求が棄却され、その頃その通知を受けたので、同年四月二十八日更に東京国税局長に審査の請求をしたが、同局長が同年八月十六日原告の右請求を棄却し、右決定が同月十八日原告に通知されたことは当事者間に争がない。

又原告の昭和二十八年事業年度の所得金額が金五五、四〇〇円であり、昭和二十五年事業年度において金一〇、七〇九円、昭和二十六年事業年度において金六、六八八円、昭和二十七年事業年度において金一三、八五九円の各損金を生じていることも当事者間に争がないから、原告が昭和二十五年五月頃被告に青色申告の承認申請をしたかどうかの点について判断する。

証人鈴木富治郎の証言(第一、二回)のなかには、昭和二十五年五月頃原告の決算及び税務事務の委任を受けていた税理士訴外鈴木富治郎は、原告の被告宛の青色申告承認申請書を作成し、京橋税務署に持参し、同署法人税係の受付係員の横に置いてある受付箱にいれて提出した旨の供述があるけれども右証言はたやすくこれを信用することはできないし、又、成立に争のない甲第一ないし第三号証、甲第四号証の一、乙第四号証と証人木津辰雄の証言を合せ考えると、原告は昭和二十七年事業年度の確定申告、昭和二十八年事業年度の予定申告及び確定申告をいずれも青色用紙を使つて申告しており、昭和二十九年事業年度及び昭和三十年事業年度の各予定申告のため京橋税務署から原告に送付してきた申告書が青色の用紙であつたことが認められるけれども、成立に争いのない乙第一号証ないし第四号証、甲第四証の一と証人大村忠嗣、同鈴木桂一、同木津辰雄の各証言を綜合すると、昭和二十五年五月当時京橋税務署では青色申告承認申請書を、納税者から提出される他の法人税関係の書類と一諸に法人税係常務班の受付係員の席の横にあるカウンターの上に受付箱を置き、このなかに投函してもらつていたが、右受付箱にいれられた書類が容易に紛失するような状態にあつたとはいえないこと、右受付箱に投入された青色申告承認申請書を一括して之に基いてその当日か翌日記入される青色申請書収受簿(乙第一号証)には原告の名は記入されておらないこと、申告期限の到来した各法人に対しては町別担当者が法人に対する税事務整理のため作成された法人事務整理票(昭和二十八年からは法人事務原簿となる)により夫々申告用紙を送付したが、青色と白色の申告用紙の数が各必要量だけなかつたことと、青色と白色の申告用紙は色が違うだけで記入事項は同一であつた関係もあつて、税務署係員もこの二つの用紙を正確に区別しないで送付していたこと、青色申告の承認を受けた法人は複式簿記帳を備える必要がある(法人税法第二十五条、同法施行規則第二十八条の二、同法施行細則第十二条)が、原告では単式簿記の帳簿しか備えていなかつたことなどの事実が認められる。これらの事実を考慮すると、前記各証拠からだけではまだ原告が昭和二十五年五月頃被告に青色承認申請書を提出したとは容易に断定できないし、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

ところで原告が昭和二十八年事業年度に金五五、四〇〇円の所得金額(その法人税額が金二三、二六八円であることは法人税法第十七条から明らかである)があつたことは原告の認めるところであるから、法人税第九条第五項の規定に基いて昭和二十五年から昭和二十七年までの各事業年度に生じた損金を算入すべきことを主張する原告は、青色申告の承認があつたことを立証する責任があるところ、この事実を認めるに足りる証拠のないこと前記のとおりであるから、原告の請求は理由がないといわなければならない。

よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 松尾巖 地京武人 井関浩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例